デイサービスで働いていた時の利用者の言葉です。
聞き間違いでなければ、対応してた同僚の方に呟いていました。
複雑です、予期してない一言だったのもありますが、現在の自分は死にたいと思ってないからです。
年を重ねると体の自由が利かなくなります。
呟いてた利用者は歩行が困難で普段は車いすを利用しています。
ここに「死にたい」と呟いた理由があるように私は思います。
私は今現在は歩くことも走ることもできます。
ただ、年を重ね、歩くのもままならない状態に変化していくことを自然に受け入れることが出来るだろうか?
出来たことが出来なくなる。
行動範囲が限られていく。これは苦痛ではないだろうか?
これは老化の一言で説明できるかもしれない。
でも、私には若い頃の易々と出来た記憶がある。
それを知っている!
「死にたい」
この一言は現状がここから好転しない、希望を抱くことができないがために、唯一の救いもしくは生き地獄(言い過ぎか)からの解放を求めて出てきた言葉なのかもしれない。